エッセイ 日々の思考

チームに必要なのはモチベーションの画一化?

チームって難しいですよね。何か一つのことを志すはずの集団にも温度差がある。

学校でいえば、学校行事や部活動、勉強。学級の中で、学校行事を頑張りたい人間がいれば、そうでない人間もいる。部活動の中にも、本気で勝ちたい人間もいれば、ただ身体を動かしたい、楽しみたいと思う人間もいる。

会社もそう。プロジェクトに対する熱量は社員によって違う。一部だけが盛り上がっていることもよくある。自分の報酬に大きな影響を与えないのだから・・・とモチベーションを捨て去ったような人間もいる。

こういうことってよくありますよね。

この問題は難しい。何が難しいのか。それは「温度差」だ。

なぜ、モチベーションに温度差が出るのだろう。

何がポイントなのか、予想をしてみます。

自分が選択して集団に所属したか

例えば、学校という組織で考えてみましょう。皆さんが経験していることで深掘りします。

「学級」「クラス」なんていうのは、皆さんが選択できたことなんてありませんでしたよね?

そうです。学力や人間関係等から、学校の先生が勝手に決めるんです。
生徒たちにとっては「望んで所属した集団」ではないわけです。
その集団において、文化祭や体育祭といった「一つの志を持って活動すること」を強いられるわけです。

もちろん、人間関係を鍛え上げるためには非常に有効な場面もあります。
「いつも人生は自分が望んだ集団に所属できるとは限らないから、学校で人間関係などを学ぶべきだ」という意見もあります。それも正論だと思います。

ただ、「自分が望んだ集団ではないということが、モチベーションに影響することは当然である」ということも忘れてはいけません。

では、部活動ではどうでしょうか。
自分で選択して集団に所属しますよね。だけれども、「部活動が面倒臭い」というモチベーションになる生徒が必ず出ます。これはなぜなのでしょうか。

自分がイメージした集団ではなかった

とりあえずは、自分がイメージしていたのと違ったんでしょうね。

例えば、よくある議論は「勝ちたい派」「楽しみたい派」みたいなことです。

挙げ句の果てに「勝ったら楽しいよ」という大義名分で、「楽しみたい派」を「勝ちたい派」に巻き込もうとするムーブメントさえも起きる始末。

「楽しみたい派」の生徒の中には「きついことはしたくないけど、部活をして楽しみたい派」というパターンは結構います。

そうであるなら、「勝ちたい派」に強要される「楽しみたい派」の人たちはモチベーションが下がりますよね。

もちろん、「勝ちたい派」の人たちだって、本気でやりたいから部活に所属しているわけですから、「楽しみたい派」のような中途半端な立場の人間を見ているとモチベーションが下がるでしょう。

お互い悪くないのに、チームのモチベーションは下がってしまうのです。

だとしたら「モチベーションを画一化するべき」なのでしょうか。

 

僕はそう思いません。

 

モチベーションが画一化されたら、個人の思想の多様性が奪われます。
一種の洗脳ですよね。自分の意思を持たせないチームなんて怖い。

 

でも、そんなことをやっている組織、チームがどれだけあるのでしょうか。

しかも、個人の意思を捨てさせ、モチベーションを画一化させたチームが結果を出した時、それは賞賛され、美談になります。どんなプロセスで結果を出したとしても。

 

自由な意思を尊重するより、強制的な意思を持たせて洗脳する方がチームの運営は楽ですからね。

 

チームや組織論って難しいけど、面白いですね。

 

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